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【感想・あらすじ】『蜘蛛の糸』芥川龍之介 作

こんにちは。今日は『蜘蛛の糸』の感想を書いていきたいと思います。

 

目次

 

 

 

 

あらすじ

・御釈迦様が、犍陀多と言う地獄にいる悪人に、生前に蜘蛛を殺さなかったことを理由に救済として蜘蛛の糸を垂らす。

 

・犍陀多は蜘蛛の糸を上って極楽に行こうとするも、ついて来た連中に「下りろ」と言った瞬間に蜘蛛の糸は切れてしまい、再び地獄に落ちる。

 

感想

①『一本の葱』と『The Spider Web』

『蜘蛛の糸』に似た筋書きの作品には『一本の葱』と言う話と『The Spider Web』と言う話があります。

 

『一本の葱』はロシアの民話でドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(1881年)にも登場します。御釈迦様が天使に、蜘蛛の糸が葱になっただけで筋書きは殆ど同じです。

 

『The Spider Web』に関して言えば、ポール・ケーラスと言う作家が1894年に発表されており、筋書きは殆ど同じです。題名も『The Spider Web』ですからね。そのまんまです。

 

こんな盗作がまかり通っていたのは時代を感じます。

 

②御釈迦様のちょっとした矛盾

御釈迦様は犍陀多が「蜘蛛を助けた」ということに着目して、生前の罪(人殺しや放火)などの許し、蜘蛛の糸を垂らします。

 

ところが、「下りろ」と言う犍陀多の悪は見逃さず、蜘蛛の糸を切ってしまいます。

 

ちょっとした矛盾でしょうか?

 

そこに深く突っ込むか、軽く流すか?

 

まあまあ、私は軽く流そうと思います。

 

③「出る杭は打たれる」と言う面白くない考え方と『カルネアデスの板』

この作品が日本でここまで受けているのは、芥川龍之介と言う極めて有名な作家の作品であること、短い作品なので教科書などの題材にしやすいことなとがあると思います。

 

しかし、この話のちょっとした気味の悪い点は「出る杭は打たれる」と言ったような抜け駆けを嫌う日本人の面白くない考え方が染み付いている気がする点です。

 

『一本の葱』とか『The Spider Web』とかがどれだけ現地で有名がどうかは知りませんが、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を知らない日本人なんていないじゃないですか?

 

西欧では、これと似たような話で有名なもので『カルネアデスの板』があります。

 

『カルネアデスの板』では、船板につかまっていた人間がら、あとから来てつかまろうとした者を突き飛ばして殺しても無罪になります。

 

割と正反対の結末ですよね?

 

主人公が地獄の罪人と言うマイナスからのスタートと言う点は違いますがσ(^_^;)

 

このちょっとした、抜け駆けを嫌ったり、変わった行動をとる人を迫害する日本人の考え方は本当に面白くありません。

 

こう言った考え方は田舎な方が強いのでしょうか?

 

今、自分は田舎で働いているのですが、職場の人に「アイツは変わった車に乗ってし、頭がおかしい」みたいな感じで言われいる人がいるのです。

しかし、その人が乗ってる車はビートルなんです。

全面にアニメのイラストが描かれていたりしたらちょっと話題にらなるのはまだ話が分かるのですが、ビートルなんてちょっと映画に出てきそうなオシャレな車に乗ってるくらいで、変わり者扱いされるのは、ひいてしまいました。

 

たった一度の人生です。

 

そう言ったつまらない批判を気にするより、やりたいことをやる方がいいなと思います。

 

④善とか悪とか、SNSでの魔女狩りとか 

『蜘蛛の糸』と言う作品は何と言うか、地獄とか極楽とか悪人とか御釈迦様とかと言ったなんとも、重々しいキーワードが飛び交う作品です。

 

今日とか明日とかの近い内に、自分がそう言ったテーマと直面するような重大な犯罪を犯したり、被害者になったりする可能性は低いとは思います。

 

こう言った重々しいテーマを身近なところで考えさせられるのは、犯罪のニュースなどに対する SNSなどの反応です。自分としては、重大な事件の犯人について石を投げつけるような反応には不快感があります。

 

重大事件の犯人だからと言って、「死刑にしろ!」なんて言うのは、やっぱり野蛮です。魔女狩りを面白がっているようなものです。被害者の家族とかが言うのはまだ理解ができるのですが、全く関係ない人間まで首を突っ込んで発言するのは行き過ぎだと思います。

 

人間を裁くのは、法律であって、人間であるべきではありません。人間が人間を「死刑にする」のではなく、法律を適応した結果、「死刑になる」と言った感覚であるべきです。

 

もう一つ言うと、「死刑にしろ!」とか発言している人には自分が犯罪者になる可能性や冤罪をかけられる可能性がないと思って生きている点が危険です。

 

自分も先述の通り、自分は犯罪者になる「可能性は低い」とまでは考えていますが、「可能性はゼロ」とまでは考えていません。常に自分の中の危険性を律し、向き合うと言うことに対する「恐怖感のようなもの」を忘れてはいけないと思います。

 

それに、日本には結構、冤罪事件があります。それも忘れてはいけません。

 

ただもう一つ付け加えると、周りの人間が「死刑にしろ!」みないなことを野蛮だと自分は批判していましたが、私は「犯罪をした人にも更生の道を開け」と言うような慈悲深いことを考える人間ではないと言うことです。

 

世の中には、真摯に努力しても中々報われない人は沢山います。自分の失敗ではなく、取引先など他人の失敗で地獄を見ることもあります。自然災害で家を失うような人もいます。

 

それを考えると、「自分でしたことの責任は自分でとってください。それに国家が過剰に予算を出して付き合う必要はないですよ。」と言うスタンスは割と中立的かならと思います。

 

⑤台東区とホームレス

小さな蜘蛛を助けると言うことは、小さな善として描かれています。

 

これと連想して考えてしまうのが、台風の時にホームレスの人の避難の受け入れを拒否した台東区の対応です。

 

私の知人には「日頃から税金を払っていないんだから、自業自得だ。」と言う訳の分からないことを言っている人がいましたが、問題は全くそういうことではないと思います。

 

住民票がないことを理由に受け入れを断ったとされていますが、外国人出張で台東区に来ていた日本人は避難できているんですよ?外国人や出張で来ていた人は、台東区に住民票はないですし、台東区に納税をしているでしょうか?

 

実際問題としては、ホームレスの方々の体臭など衛生面の関係や「なんとなくの不安感」のようなものが原因で断られていたのだと思います。

 

「想定していない面倒臭いことが起きそうな時は断る」と言う日本の行政の悪いところが滲み出たような対応です。

 

今後はホームレスの人が避難して来た時の対応などをしっかり想定に入れて対応を考えて頂きたいものです。

 

⑥蜘蛛の糸を見つけたら兎に角、よじ登れ!後ろは振り向かな!

「出る杭は打たれる」と言ったような考え方は気持ち悪いと書きましたが、やはり、自分のことだけを考えていては何事も上手くいかないと言うのはあるのかなと思います。

 

「儲けることより、先ずお客様の満足を考えろ」と言うようなことは良く言われることだと思います。

 

中々、難しいことだとは思いますが(^_^;)

 

少なくとも、他人の邪魔をして成功しようと言った考えはダメですね。

 

⑦芥川龍之介と言う作家の描写の面白さ

芥川龍之介の作家の面白さの一つとしては、語り口調が作品によって違うと言うことがあると思います。

 

教科書にもよく載っている『羅生門』などでは、なんとも偉そうなと言うか、まわりくどいと言うか、客観的、第三者的な口調で下人の心理を淡々と書いています。

 

本作品も第三者的視点から書いてある作品には違いありません。

 

ところで、誰の視点なんでしょうか?

 

極楽から地獄を見下ろすような視点で書かれているので、極楽側にいる人であることは間違いないく、御釈迦様の行動に対して敬語で書いてあるので御釈迦様よりは身分の低い人間と言うことは分かると思います。

 

おわりに

今日は『蜘蛛の糸』の感想をつらつら書かせて頂きました。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

今日はこのへんで(^-^)/